ノヴゴロド・セヴェルスキー公

ノヴゴロド・セヴェルスキー公 / シヴェーリア公ロシア語: Князь Новгород-Северский / ウクライナ語: Князь сіверський) は、ノヴゴロド・セヴェルスキー公国(シヴェーリア公国)の君主の称号である。(「公」はクニャージからの訳出による。)公国の首都はノヴゴロド・セヴェルスキー(シヴェーリア(セヴェルシチナ)地方のノヴゴロドの意。現ウクライナ・ノーウホロド=シーヴェルシクィイ)に置かれ、公位の名称は地域名・都市名に基づく。

ノヴゴロド・セヴェルスキー公の一覧

ルーシ期

1164年以降のリューリク朝の公に関する史料は不完全であり、以降の統治者の変遷を考察する際には注意が必要であることが指摘されている[2]。)

1198年以降についての別説[注 2]

  • オレグ・スヴャトスラヴィチ(ru) - 在位:1198年 - 1202年
  • フセヴォロド・スヴャトスラヴィチ - 在位:1202年 - 1204年
  • グレプ・スヴャトスラヴィチ - 在位:1204年 - 1212年
  • ムスチスラフ・グレボヴィチ - 在位:1212年 - 1239年
  • アンドレイ・ムスチスラヴィチ - 在位:1239年 - 1245年

1362年リトアニア大公国が併合。)

リトアニア期

(1500年、Vasīlijs(ロシア名ヴァシリー)は公国ごとモスクワ大公イヴァン3世に寝返ったが、1523年外患罪に問われて捕縛された。後にノヴゴロド・セヴェルスキー公位は廃止。)

脚注

注釈

  1. ^ V.ゾトフによる[3]
  2. ^ L.ヴォイトヴィチによる[4]

出典

  1. ^ Владимир Давыдович // Все монархии мира
  2. ^ Пресняков А. Е. Княжое право в Древней Руси. Лекции по русской истории - М.:Наука, 1993.
  3. ^ О черниговских князьях по Любецкому синодику и о Черниговском княжестве в татарское время -СПб.1892. с.57—63
  4. ^ Л.Войтович КНЯЗІВСЬКІ ДИНАСТІЇ СХІДНОЇ ЄВРОПИ

関連項目