モイゼス・アルー

この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はロハス第二姓(母方の姓)はアルーです。
モイゼス・アルー
Moisés Alou
サンフランシスコ・ジャイアンツ時代
(2005年8月20日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国
二重国籍
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ジョージア州アトランタ
生年月日 (1966-07-03) 1966年7月3日(57歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
230 lb =約104.3 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1986年 ドラフト1巡目でピッツバーグ・パイレーツから指名
初出場 1990年7月26日
最終出場 2008年9月30日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国代表
WBC 2006年2009年
この表について
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プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

モイゼス・ロハス・アルーMoisés Rojas Alou, 1966年7月3日 - )は、アメリカ合衆国ジョージア州アトランタ出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。

モイセズ・アルーと表記されることもある。

経歴

プロ入り前

アメリカ合衆国ジョージア州アトランタ出身。父親のフェリペ・アルーも通算2101安打の成績を残したメジャーリーグの名選手で、サンフランシスコ・ジャイアンツの監督などを務めた。そしておじのマティとヘススも通算1000安打以上を記録している元メジャーリーガーで、モイゼスは野球エリートに生まれた。

パイレーツ時代

1986年のMLBドラフトピッツバーグ・パイレーツからドラフト1巡目で指名され、契約を結びプロ入りを果たした。

1990年7月26日にメジャーデビューを果たした。

エクスポズ時代

1990年シーズン中にモントリオール・エクスポズへと移籍した。そこでは14試合に出場し、3安打をマークした。

1992年は父親のフェリペがエクスポズの監督に就任。115試合に出場し、打率.282、本塁打9、打点56、盗塁16とまずまずの成績を残した。

1993年は更に出場機会が増え、136試合で18本塁打、17盗塁をマーク。打率も少しだけだったが、アップした。

1994年は107試合の出場に留まったが打率.339、本塁打22、打点78はいずれも自己ベストの数字となった。

1995年も故障の影響で93試合にしか出場出来なかったが、14本塁打を記録するなど、打撃面でのパワーはしっかりと見せ付けている。

1996年は久々に143試合と、シーズン通してコンスタントに試合に出場。自己ベストの96打点を叩き出した。

マーリンズ時代

1996年オフにフロリダ・マーリンズへ移籍した。

1997年は打点を115に乗せ、リーグ屈指の打者に成長した。

アストロズ時代

1997年オフにヒューストン・アストロズへ移籍した。

1998年は絶好調で打率312、本塁打38、打点124を記録。3割30本100打点をクリアした。

1999年は怪我で全休した。

2000年に復帰し、126試合の出場で30本塁打、114打点を記録。また、その年に記録した打率.355は1994年の.339を上回る自己ベストの数字であった。

2001年も本塁打こそ27本に留まったものの、108打点、打率.331を記録した。

カブス時代

2002年シカゴ・カブスに移籍。この頃から衰えが目立つようになってきて、打率.275、15本塁打、61打点と成績が急落してしまった。

2003年は、ワールドシリーズまであと一歩と迫るが、1997年に所属したマーリンズの前に敗れる。終盤、アルーがファウルフライをキャッチしようとしていたのを、あろうことか地元リグリーのカブスファンに妨害され(もちろん悪意はなくうっかり手出し)、流れが変わり、チームは念願のワールドシリーズ進出を逃した(スティーブ・バートマン事件)。

2004年は155試合に出場。打率は.293まで上がり、打点も106打点を記録。何より凄かったのは、38歳という年齢で自己ベストの39本塁打を記録した事だった。オールスターゲームにも選出され、また同年オフには日米野球のメンバーとして来日している。

ジャイアンツ時代

2005年サンフランシスコ・ジャイアンツへ移籍する事になり、再び父親の元でプレーすることになった。その年は怪我の影響で123試合の出場に留まったが、復活を遂げた打撃は再び衰えるところを知らず、打率.321を記録した。

2006年開幕前の3月に第1回WBCドミニカ共和国代表に選出された[1]

シーズンでは怪我で長期離脱し、出場したのは11年ぶりの100試合以下となる98試合と少なかったが、打率.301・22本塁打・74打点をマーク。自己ベストの26本塁打を放ったレイ・ダーラムと共に、2002年オフのジェフ・ケント放出以来、本格的な主砲バリー・ボンズの擁護役として存在感を示した。そして、この年は通算300本塁打を達成し、9月24日に通算2000本安打、9月27日に通算400二塁打を達成するなど、記録ずくめのシーズンとなった。ちなみに9月27日には、ダーラムとダブルスチールを試み、ホームスチールを成功させ、自らの記録達成に花を添えている。オフにFAとなった。

メッツ時代

2006年11月20日にニューヨーク・メッツと契約を結んだ。

引退後

2008年シーズン限りで引退したが、2009年第2回WBCのドミニカ共和国代表に選出され[2]、2大会連続2度目の選出を果たし、一時的に現役に復帰した。

2014年アメリカ野球殿堂の殿堂入り候補資格を得たが、記者投票の結果は6票(1.1%)にとどまり初年度での資格喪失となった[3]

選手としての特徴

人物

ベースボール一家

父親のフェリペ・アルーは2006年までサンフランシスコ・ジャイアンツ監督。現役時代はミートの上手い俊足の外野手として知られていた。フェリペの弟はマティ・アルー。マティは1966年に首位打者を獲得しており、のちに日本の太平洋クラブ(現埼玉西武ライオンズ)でプレーしている。また、フェリペが1992年にエクスポズの監督に就任しており、その時にモイゼスはモントリオール・エクスポズに所属していた為、親子で同一チームに所属するのは今回で2度目である。また、2020年にニューヨーク・メッツの監督に就任したルイス・ロハスとは異母兄弟にあたる。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1990 PIT 2 5 5 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 .200 .200 .200 .400
MON 14 16 15 4 3 0 1 0 5 0 0 0 1 0 0 0 0 3 0 .200 .200 .333 .533
'90計 16 21 20 4 4 0 1 0 6 0 0 0 1 0 0 0 0 3 1 .200 .200 .300 .500
1992 115 377 341 53 96 28 2 9 155 56 16 2 5 5 25 0 1 46 5 .282 .328 .455 .783
1993 136 535 482 70 138 29 6 18 233 85 17 6 3 7 38 9 5 53 9 .286 .340 .483 .824
1994 107 471 422 81 143 31 5 22 250 78 7 6 0 5 42 10 2 63 7 .339 .397 .592 .989
1995 93 386 344 48 94 22 0 14 158 58 4 3 0 4 29 6 9 56 9 .273 .342 .459 .801
1996 143 598 540 87 152 28 2 21 247 96 9 4 0 7 49 7 2 83 15 .281 .339 .457 .797
1997 FLA 150 619 538 88 157 29 5 23 265 115 9 5 0 7 70 9 4 85 13 .292 .373 .493 .866
1998 HOU 159 679 584 104 182 34 5 38 340 124 11 3 0 6 84 11 5 87 14 .312 .399 .582 .981
2000 126 517 454 82 161 28 2 30 283 114 3 3 0 9 52 4 2 45 21 .355 .416 .623 1.039
2001 136 581 513 79 170 31 1 27 284 108 5 1 0 8 57 14 3 57 18 .331 .396 .554 .949
2002 CHC 132 534 484 50 133 23 1 15 203 61 8 0 0 3 47 4 0 61 15 .275 .337 .419 .757
2003 151 638 565 83 158 35 1 22 261 91 3 1 0 3 63 7 7 67 16 .280 .357 .462 .819
2004 155 675 601 106 176 36 3 39 335 106 3 0 0 6 68 2 0 80 12 .293 .361 .557 .919
2005 SF 123 490 427 67 137 21 3 19 221 63 5 1 0 4 56 1 3 43 11 .321 .400 .518 .918
2006 98 378 345 52 104 25 1 22 197 74 2 1 0 4 28 2 1 31 15 .301 .352 .571 .923
2007 NYM 87 360 328 51 112 19 1 13 172 49 3 0 0 3 27 5 2 30 13 .341 .392 .524 .916
2008 15 54 49 4 17 2 0 0 19 9 1 1 0 1 2 0 2 4 1 .347 .389 .388 .777
MLB:17年 1942 7913 7037 1109 2134 421 39 332 3629 1287 106 37 9 82 737 91 48 894 195 .303 .369 .516 .885
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績



中堅(CF) 左翼(LF) 右翼(RF)




































1990 PIT - 2 3 0 0 0 1.000 -
MON 2 0 0 0 0 ---- 1 0 0 0 0 ---- 2 6 1 0 0 1.000
'90計 2 0 0 0 0 ---- 3 3 0 0 0 1.000 2 6 1 0 0 1.000
1992 13 23 2 0 1 1.000 79 118 4 2 0 .984 15 28 0 2 0 .933
1993 12 23 2 0 0 1.000 102 181 6 2 1 .989 34 52 3 2 1 .965
1994 - 63 98 1 1 0 .990 45 104 3 2 0 .982
1995 4 5 0 0 0 1.000 61 96 3 2 0 .980 30 49 2 1 2 .981
1996 7 8 0 0 0 1.000 33 51 1 2 0 .963 123 202 6 1 2 .995
1997 FLA 55 106 1 0 0 1.000 90 123 2 3 0 .977 22 18 1 0 1 1.000
1998 HOU 6 5 0 1 0 .833 152 228 11 4 2 .984 -
2000 - 59 92 0 5 0 .948 64 102 5 1 0 .991
2001 - - 130 205 10 2 3 .991
2002 CHC 1 0 0 0 0 ---- 122 199 6 2 1 .990 4 5 0 0 0 1.000
2003 - 142 203 4 6 1 .972 -
2004 - 154 240 7 8 2 .969 -
2005 SF - 74 132 1 4 0 .971 53 90 4 4 3 .959
2006 - 11 19 0 0 0 1.000 81 154 1 4 0 .975
2007 NYM - 84 138 7 4 0 .973 -
2008 - 13 18 0 0 0 1.000 -
MLB 100 170 5 1 1 .994 1242 1939 53 45 7 .978 603 1015 36 19 12 .982
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰

記録

背番号

  • 52 (1990年途中)
  • 18 (1990年途中 - 2008年)

代表歴

脚注

  1. ^ 2006 Tournament Roster[リンク切れ] The official site of World Baseball Classic (英語) 2016年3月7日閲覧 [リンク切れ]
  2. ^ 2009 Tournament Roster[リンク切れ] The official site of World Baseball Classic (英語) 2016年3月7日閲覧 [リンク切れ]
  3. ^ “2014 BBWAA Voting Results” (英語). Baseball Hall of Fame. 2019年6月2日閲覧。

関連項目

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、モイゼス・アルーに関連するカテゴリがあります。
  • 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
  • Moises Alou stats MiLB.com (英語)
  • Moises Alou (@MoisesAlou18) - X(旧Twitter)
 
業績
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
  • 投手
  • 捕手
  • 一塁手
  • 二塁手
  • 三塁手
  • 遊撃手
1940年代
  • 49 ジョー・ペイジ(英語版)
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
フロリダ・マーリンズ 1997年のワールドシリーズ ロースター
   

25 アル・ライター
26 アレックス・アリアス
27 ケビン・ブラウン
28 ジョン・キャンジェローシ
30 クレイグ・カウンセル
31 ロブ・ネン
39 ジェイ・パウエル
41 トニー・ソーンダース
42 デニス・クック
49 フェリックス・ヘレディア
52 エド・ボスバーグ
57 アントニオ・アルフォンセカ
61 リバン・ヘルナンデスシリーズMVP

監督
11 ジム・リーランド

コーチ
06 ジェリー・マニエル(ベンチ)
12 ブルース・キム(ブルペン)
29 ミルト・メイ(打撃)
37 トミー・サント(一塁)
45 リッチ・ドネリー(三塁)
47 ラリー・ロスチャイルド(投手)

 
ドミニカ共和国の旗 WBCドミニカ共和国代表
ドミニカ共和国の旗 野球ドミニカ共和国代表 - 2006 ワールド・ベースボール・クラシック
監督
投手
捕手
内野手
外野手
ドミニカ共和国の旗 野球ドミニカ共和国代表 - 2009 ワールド・ベースボール・クラシック
監督
コーチ
  • 55 ルイス・プホルス
  • 32 マリオ・ソト
  • 6 ジュニア・ノボア
  • 4 アルフレド・グリフィン
  • 19 ルイス・シルベリオ
  • 31 ラモン・ヘンダーソン
投手
捕手
内野手
外野手
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