リーザ・デラ・カーザ
ポータル クラシック音楽
リーザ・デラ・カーザ(Lisa Della Casa, 1919年2月2日 - 2012年12月10日[1])は、スイス出身のソプラノ歌手。「デラ・カーザ」が姓である。
経歴
ベルン州ブルクドルフ(ドイツ語版)の生まれ。
15歳からチューリヒ音楽院のマルガレーテ・ヘーザーの下で声楽を学ぶ。1941年にゾロトゥル=ビール市立劇場でプッチーニの『蝶々夫人』を歌ってデビューを飾った。
その後1943年にチューリヒ市立歌劇場でプッチーニの『ラ・ボエーム』でミミを歌って評判をとり、1947年にリヒャルト・シュトラウスの『アラベラ』でズデンカ役でザルツブルク音楽祭に出演し、ウィーン国立歌劇場のメンバーに迎えられた。ドイツ語圏におけるリリックソプラノの代表的な一人であり、人気を集めた美貌はいくつかのオペラ映像に記録をとどめている。ただし、1960年のザルツブルク音楽祭での『ばらの騎士』元帥夫人役は大部分が彼女が歌ったにもかかわらず、映画収録の回のみはエリーザベト・シュヴァルツコップに交替させられるという苦汁をなめた。
1949年にはミラノ・スカラ座にデビューし、リヒャルト・シュトラウスの『ばらの騎士』のゾフィー役を演じている。
1952年にはバイロイト音楽祭に出演し、『ニュルンベルクのマイスタージンガー』のエヴァ役を歌った。
1974年に引退した。
2012年12月10日、スイスのトゥールガウ州ミュンスターリンゲン(ドイツ語版)にて没した[2]。93歳没。
ディスコグラフィ
オペラ全曲
- 『フィガロの結婚』(1955年、デッカ・レコード)エーリヒ・クライバー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団演奏:チェーザレ・シエピ(フィガロ)、ヒルデ・ギューデン(スザンナ)、アルフレート・ペル(ドイツ語版)(アルマヴィーヴァ伯爵)、デラ・カーザ(伯爵夫人)、シュザンヌ・ダンコ(ケルビーノ)、フェルナンド・コレーナ(バルトロ)、マレー・ディッキー(英語版)(バジリオ)
- 『ドン・ジョヴァンニ』(1955年、デッカ)ヨーゼフ・クリップス指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団演奏:チェーザレ・シエピ(ドン・ジョヴァンニ)、シュザンヌ・ダンコ(ドンナ・アンナ)、アントン・デルモタ(ドン・オッターヴィオ)、デラ・カーザ(ドンナ・エルヴィーラ)、フェルナンド・コレーナ(レポレッロ)、クルト・ベーメ(騎士団管区長)、ヴァルター・ベリー(マゼット)、ヒルデ・ギューデン(ツェルリーナ)
- 『コジ・ファン・トゥッテ』(1955年、デッカ)カール・ベーム指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団演奏:デラ・カーザ(フィオルディリージ)、クリスタ・ルートヴィヒ(ドラベッラ)、エミー・ローゼ(ドイツ語版)(デスピーナ)、アントン・デルモタ(フェルランド)、エーリッヒ・クンツ(グリエルモ)、パウル・シェフラー(ドン・アルフォンソ)
- 『オルフェオとエウリディーチェ』(1955年、RCAビクター)ピエール・モントゥー指揮ローマ歌劇場管弦楽団演奏:リーゼ・スティーヴンス(オルフェオ)、デラ・カーザ(エウリディーチェ)、ロバータ・ピータース(愛の神)
- 『アラベラ』(1957年、デッカ)ゲオルク・ショルティ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団演奏:デラ・カーザ(アラベラ)、ヒルデ・ギューデン(ズデンカ)、ジョージ・ロンドン(マンドリーカ)、オットー・エーデルマン(ヴァルトナー伯爵)、イラ・マラニウク(ドイツ語版)(アデライーデ)、アントン・デルモタ(マッテオ)、ヴァルデマール・クメント(エレメール)、ミミ・コアース(英語版)(フィアカーミリ)、エバーハルト・ヴェヒター(ドミニク)
- 『フィガロの結婚』(1958年、RCAビクター)、エーリヒ・ラインスドルフ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団演奏:ジョルジョ・トッツィ(英語版)(フィガロ)、ロバータ・ピータース(スザンナ)、ジョージ・ロンドン(アルマヴィーヴァ伯爵)、デラ・カーザ(伯爵夫人)、ロザリンド・エリアス(ケルビーノ)、フェルナンド・コレーナ(バルトロ)、ガボール・カレッリ(英語版)(バジリオ)
脚註
- 表示
- 編集
この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ芸能人)。 |
- 表示
- 編集