上杉憲章

曖昧さ回避 武将の「上杉憲秋」とは別人です。
上杉憲章
上杉家系図

上杉 憲章(うえすぎ のりあき、明治9年(1876年11月26日 - 昭和28年(1953年1月2日は、日本華族伯爵米沢上杉家14代当主。

来歴・人物

最後の米沢藩主・上杉茂憲の長男として生まれた。明治15年(1882年)7月、沖縄県令であった父茂憲に従い、沖縄県に転居する。明治16年(1883年)5月、父茂憲とともに東京に戻る。同年、学習院初等学科に入学する。明治27年、学習院中等学科に入学する。早稲田大学に入学し、東京外国語学校に転学する。明治37年(1894年)から明治40年(1897年)までイギリス・ケンブリッジ大学に留学した。帰国後、宮内省御用掛となる。鷹司熙通の長女・房子と結婚したが、大正7年(1918年12月17日に早世したため、近藤廉平の三女・貴子と再婚した。大正8年(1919年)、家督を相続した。

長男の定憲は大正8年(1919年11月6日に8歳で、次男の資憲は大正4年(1915年6月27日に生後9か月で早世したため、三男の隆憲が跡を継ぎ、米沢上杉家の当主となった。五男の昭雄は、憲章の実弟で麻布上杉家(旧米沢新田藩家)当主・上杉勝憲の養嗣子となり勝昭と改名した。

宇宙工学者の上杉邦憲は憲章の嫡孫にあたる(邦憲は隆憲の長男)。

栄典

位階
勲章等

脚注

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  1. ^ 『官報』第4021号「叙任及辞令」1896年11月21日。
  2. ^ 『官報』第6135号「叙任及辞令」1903年12月12日。
  3. ^ 『官報』第3035号「叙任及辞令」1922年9月12日。
  4. ^ 『官報』第5398号「宮廷録事」1945年1月16日。

参考文献

  • 『上杉家年表』上杉隆憲、上杉家管理事務所、1993年。
日本の爵位
先代
上杉茂憲
伯爵
米沢上杉家第2代
1919年 - 1947年
次代
(華族制度廃止)
上杉笹紋米沢上杉家第15代当主(1919年 - 1953年)
山内上杉家

重房 - 頼重 - 憲房 - 憲顕 - 憲方 - 憲定 - 憲基 - 憲実 - 清方) - 憲忠 - 房顕 - 顕定 - 顕実 - 憲房 - 憲寛 - 憲政 - 輝虎(謙信) - 景虎 -

米沢上杉家

景勝 - 定勝 - 綱勝 - 綱憲 - 吉憲 - 宗憲 - 宗房 - 重定 - 治憲 - 治広 - 斉定 - 斉憲 - 茂憲 - 憲章 - 隆憲 - 邦憲 -

分家・支流

深谷上杉家

憲英 - 憲光 - 憲信 - 房憲 - 憲清 - 憲賢 - 憲盛 - 氏憲 - 憲俊 - 憲国 - 憲景 -

新田(麻布)上杉家

勝周 - 勝承 - 勝定 - 勝義 - 勝道 - 勝賢 - 勝憲 - 勝昭 - 孝久 -

御館の乱で景勝と争い、乱後の1580年には景勝に統一
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