中国街道

曖昧さ回避 この項目では、大坂西宮を結ぶ街道について説明しています。下関を結ぶ街道については「西国街道」をご覧ください。
旧中国街道に立つ道標(兵庫県尼崎市西本町八丁目)

中国街道(ちゅうごくかいどう)は、大坂西宮を結ぶ街道。別名は中国路(ちゅうごくじ)、浜街道(はまかいどう)。

大坂城下高麗橋を起点に、難波橋、十三の渡し、神崎の渡し、大物浦、尼崎城下などを経由して、西宮本町で西国街道に合流する。なお、西国街道を中国街道・中国路と称することもある[1]

歴史

記録を遡れるのは、中世までであるが、近世になると、大坂と西国との物資の流通の要となる。往時の街道沿線には、要所要所に道標が設置されていた。現在では、区画整理の結果、その街道筋を忠実に辿ることは困難になっている。しかし今でも、それら道標のうち幾つかが土中から発掘されるなどして、往時の姿を偲ばせている。大名行列が通ることもあった。

明治国道の国道26号に指定されたが、大正国道の国道2号は西本町交差点以西のみの指定となり、以東は西成大橋新淀川)や辰巳橋(左門殿川)を経由する大和田街道・梅田街道と、尼崎城下の東本町と城内(南浜)を横断する道路が指定された。そして、1927年阪神国道(現・国道2号)開通を受けて国道指定から外れた。しかし、1953年に西本町交差点 - 貴布祢交差点間が二級国道173号に指定され、1958年には一級国道43号に昇格。1965年より国道43号となった。

沿線

遊女塚(尼崎市神崎町)
残念さんの墓(長州藩士・山本文之助の墓)
  • 高麗橋 - 大阪市中央区高麗橋
  • 難波橋 - 大阪市北区中之島
  • 綱敷天神社 - 大阪市北区神山町
  • 鶴乃茶屋跡 - 大阪市北区茶屋町
  • 十三の渡し - 大阪市淀川区新北野
  • 神崎の渡し[2] - 尼崎市神崎町
  • 遊女塚 - 尼崎市神崎町、梅ヶ枝公園
    • 1692年元禄5年)正月の年紀銘に加え、遊女5人の名があったと言われている。讃岐国へ流される途中当地に立ち寄った法然に念仏を授けられ、川に身を投げた遊女達の亡骸を葬ったものと伝えられている[3]
  • 残念さんの墓 - 尼崎市大物町、大物公園
    • 長州藩士・山本文之助の墓。1864年元治元年)の蛤御門の変にて京都からの帰途、大物で捕らえられ自決した。死に際に「残念、残念」と叫んだとされ、幕府に反感を持つ民衆の墓参りが絶えず「残念さん」と呼ばれるようになった[4]
  • 大物主神社 - 尼崎市大物町
  • 大物崩れ戦跡 - 尼崎市大物町
  • 尼崎城跡 - 尼崎市南城内
  • 琴浦神社 - 尼崎市琴浦町
  • 雉ガ坂伝説地[5] - 尼崎市大庄西町
  • 岡太神社 - 西宮市小松
  • 鳴尾の孤松(ひとりまつ) - 西宮市里中町
  • 長蘆寺 - 西宮市鳴尾町

脚注

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  1. ^ 松村明監修『大辞泉』小学館(1998年)
  2. ^ 神崎の渡し  <ひょうご歴史の道 ~江戸時代の旅と名所~> - 兵庫県立歴史博物館
  3. ^ 遊女塚 - 尼崎市文化財収蔵庫
  4. ^ 残念さんの墓 - 尼崎市文化財収蔵庫
  5. ^ 雉ガ坂伝説地 - 尼崎市文化財収蔵庫

関連項目

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