北島義彦
北島 義彦(きたじま よしひこ、1911年 - 1959年1月7日[1])は、日本の政治家。元自由民主党都議会議員[1]。1964年東京オリンピック大会招致実行委員長。
人物
東京都北区出身[要出典][注 1]。日本大学卒業[2]。会社顧問[2]、北区立赤羽小学校PTA会長などを経て、東京府会議員、東京都議会議員となる[3]。柔道5段。
戦後の1946年(昭和21年)の第22回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補したが落選した[4]。落選後は翌1947年(昭和22年)から都議に当選し、死去するまで務めた。
「日本プロレスの父」といわれた八田一朗とともに、1964年東京オリンピック招致に奔走し中南米票の獲得に尽力したが、その途上、胃癌を発病しサンパウロから急遽帰国。その1時間後駒込病院で死去した[注 2]。
脚注
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注釈
出典
参考文献
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 『朝日新聞』縮刷版 1955年4月号、朝日新聞社。
- 『朝日新聞』縮刷版 1959年1月号、朝日新聞社。
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