大宮 英明(おおみや ひであき、1947年7月25日- )は、日本の経営者。三菱重工業社長、会長を務めた。
来歴・人物
長野県出身。都立日比谷高校を経て[2]、1969年に東京大学工学部を卒業した後に三菱重工業に入社した。
2002年6月に取締役に就任し、常務を経て、2007年4月に副社長に就任した。2008年4月に社長に昇格し、2013年4月から会長を務めた。この間、「Mitsubishi SpaceJet」(旧MRJ、現MSJ)事業構想の具体化から、会長時代には同機の納入段階まで開発を漕ぎ着けた。
2011年から2015年までに日本経済団体連合会副会長を務めた[3]
脚注
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- ^ 大宮英明 プレジデントonline、<三菱重工業>大企業病を退治した大宮改革1800日【1】 プレジデントonline(PRESIDENT 2013年5月13日号)、2013/06/25 16:00、児玉博(ジャーナリスト)
- ^ 経団連、新任副会長にJR東・大塚氏ら6人固める JRから初 2011年2月4日 日本経済新聞
参考文献
- 興信データ株式會社『人事興信録 第45版 上』興信データ、2009年。
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1884年 - | 三菱商会(1873年) - 長崎造船所(1884年) - 三菱社(1885年) - 三菱合資会社(1884年) - 三菱造船(1917年) - 三菱重工業(1934年) | - 岩崎弥太郎(1884年)・山脇正勝(1884年)
- 岩崎弥之助(1885年)・荘田平五郎(1886年)
- 岩崎久弥(1893年)
- 岩崎小弥太(1916年)
- 浜田彪(1917年12月 - 1932年)・武田秀雄(1918年5月)
- 斯波孝四郎(1920年2月 - 1942年2月)
- 取締役社長制・郷古潔(1941年2月 – 1945年10月)
- 取締役会長制復活・元良信太郎 (1943年4月 - 1945年10月)
- 玉井喬介 (1945年10月 - 1955年5月)
- 岡野保次郎 (1946年12月)
- 桜井俊記
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1950年 - | 東日本重工業(1950年) - 三菱日本重工業(1951年) | - 李家孝(1950年1月)
- 桜井俊記(1952年5月)
- 河野文彦(1961年5月) -
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中日本重工業(1950年) - 新三菱重工業(1951年) | - 藤井深造(1950年1月)
- 吉田義人(1959年5月)
- 藤井深造(1962年3月) -
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西日本重工業(1950年) - 三菱造船(1951年) | - 丹羽周夫(1950年1月)
- 佐藤尚(1959年5月) -
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1964年 – | |
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- ^ 岩井良太郎『日本コンツェルン全書3:三菱コンツェルン読本』(1937年、春秋社、国立国会図書館)、渋沢栄一記念財団『渋沢社史データベース』、野村インベスター・リレーションズ『三菱重工業の歴史』、他。
- ^ 1950年までで社長が明らかでないか不在の場合は、三菱財閥総帥もしくは三菱重工業会長、もしくは長崎造船所所長または支配人を含むか、或いは併記する。
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