小谷憲一

小谷 憲一
生誕 (1955-02-10) 1955年2月10日(69歳)[1]
日本の旗 日本京都府宮津市[1]
国籍 日本の旗 日本
職業 漫画家
活動期間 1977年[1][2] -
ジャンル 少年漫画
青年漫画
代表作テニスボーイ
『DESIRE』など
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小谷 憲一(こたに けんいち、1954年2月10日[1] - )は、日本漫画家京都府宮津市出身[1]血液型はAB型[1]

経歴

宮津市で生まれ[1]。幼少期は子どもらしいワンカットのイラストを描いて遊んでいた。小学生の頃は漫画雑誌「少年キング」にイラストを投稿していた。また、その頃から、絵だけではなく物語の創作していた[3]。中学時代は漫画を時々読む程度で描くことから遠ざかっていた[1]。高校時代はオートバイに夢中になっていたが、同時に絵を描くことに再び興味も湧き、卒業後は京都市のデザインスタジオに就職する[1]。その頃はテキスタイルデザイナーを志していた[3]。しかしスタジオの上司の指導内容に納得が行かず、従わない事がしばしばあった[1]。就職して2年目に喧嘩になり「東京へ行って勉強して来い」と言われ、スタジオを追い出される[1]

しかし、すぐには上京せず、清水焼の職人をしていた親戚を頼り陶芸師として修業を始める。だが、どうにも性に合わず、デザインの仕事を求めて上京することを決意。全財産は手元の8万円のみであった[1][3]。上京後は従業員寮のある銀座のクラブで働き、合間に漫画を描いては漫画編集部に持ち込みをしたり新人賞に投稿する生活を始める。

22歳の時に『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)に掲載されていた手塚プロダクションのアシスタント募集の広告を目にし応募、採用されアシスタントの一員となる[1]。手塚プロには1年ほど在籍しており、小谷にとっては実り多い時期であったが、「自分の目指す絵の方向性と異なるのではないか」という考えと、「保障された生活では甘えが出るため自分を追い込みたい」との考えにより手塚プロを離れる。再び銀座のクラブで働きながら他の漫画家のアシスタントも務め、自分の漫画制作をする生活に戻る[1]

週刊少年ジャンプ』(集英社)で連載していた高橋よしひろのアシスタントを務めていたこともあり、自身の漫画をジャンプ編集部に持ち込むようになる。やがて担当編集者が付き、漫画制作のアドバイスを受ける[3]。23歳の時に『週刊少年ジャンプ』1977年20号にて読切作品「山犬狩り」が掲載されデビュー[1][2]。翌1978年には『週刊少年ジャンプ』37号に読切作品「黒獅子魂」を掲載[4]し、同年同誌43号から1979年2号まで掲載された『渡り教師』(原作:高山芳紀)での連載デビュー[4][5]を経て、『週刊少年ジャンプ』1979年31号より代表作『テニスボーイ』(原作:寺島優)の連載を始める[1]。以後、『週刊少年ジャンプ』や『月刊少年ジャンプ』、『スーパージャンプ』等の集英社の漫画雑誌を中心に執筆活動を続けている。

作品リスト

漫画作品

  • 山犬狩り(週刊少年ジャンプ 1977年20号、読切)
  • 黒獅子魂(週刊少年ジャンプ 1978年37号、読切)
  • 渡り教師(原作:高山芳紀、週刊少年ジャンプ 1978年43号 - 1979年2号、全1巻)
  • テニスボーイ(原作:寺島優、週刊少年ジャンプ 1979年31号 - 1982年9号、全14巻、JCS版全9巻、文庫版全9巻)
  • ウイニング・ショット(原作:寺島優、週刊少年ジャンプ 1982年21号 - 43号、全3巻)
  • OH! GAL(週刊少年ジャンプ 1980年12号、読切)
  • スキャンドール(週刊少年ジャンプ 1983年3号 - 39号、全4巻、JSA版全3巻)
  • KID(週刊少年ジャンプ 1984年22号 - 40号、全2巻)
  • ウルフにKISS(原作:寺島優、週刊少年ジャンプ 1985年39号 - 51号、全2巻)
  • 気ままにアイドル(コミックバーガー 創刊号(1986年11月) - 1990年、全7巻、ホーム社版全5巻)
  • ホールドアップ☆キッズ月刊少年ジャンプ、1986年 - 1990年、全11巻)
  • 17ANS(スーパージャンプ 1990年10月号 - 1995年24号、全14巻)
  • Doubles(月刊少年ジャンプ、1991年 - 1992年、全2巻)
  • SHOW!(スーパージャンプ 1996年9号 - 1997年1号、全2巻)
  • DESIRE(スーパージャンプ 1997年10号 - 2006年8号、全25巻)
    • DESIRE 2nd season(スーパージャンプ 2006年17号 - 2010年5号、全7巻) ※月1回連載
    • DESIRE web season
  • そして、僕は君に還る(スーパージャンプ 2010年10号 - 2011年1号、全2巻)

短編集などの書籍

  • 小谷憲一短編集1 ショッキングMOMOKO(1991年9月、集英社、全1巻)
  • 小谷憲一セレクション(1999年12月、集英社、全1巻)
  • DESIRE-the best shot―KEN-ICHI KOTANI ILLUSTRATRAIONS(2001年12月、集英社、全1巻) - 『DESIRE』のイラスト集
  • DESIRE Premium Collection(2007年3月 - 7月、集英社、全5巻) - 『DESIRE』の傑作選

関連作品

アシスタント

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p “小谷憲一先生インタビュー/2009年2月号”. 日本漫画学院Web. 日本漫画学院. 2011年10月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年5月13日閲覧。
  2. ^ a b 1977年週刊少年ジャンプ 2011年5月13日閲覧。
  3. ^ a b c d “美女!アクション!!高い画力でヒット漫画を連発するスゴい人”. 日刊スゴい人! (2018年9月27日). 2024年6月3日閲覧。
  4. ^ a b 1978年週刊少年ジャンプ 2011年5月13日閲覧。
  5. ^ 1979年週刊少年ジャンプ 2011年5月13日閲覧。
  6. ^ コミックナタリー 浅田弘幸プロフィール
  7. ^ 柴山薫ファンサイト内に投稿された柴山薫自身によるコラムの中の「ライバル誕生」にて、小谷のアシスタントを務めていた事を明かしている。(2011年5月13日閲覧)[リンク切れ]
  8. ^ “開発者インタビュー「Creators Note」#17 玉木 美孝”. セガ 公式サイト. セガ. 2008年5月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年5月13日閲覧。
  9. ^ 本人HP日記のインターネットアーカイブ上の記録より。2008年1月5日付の日記にてアシスタントを務めていた事を明かしている。2011年5月13日閲覧。

外部リンク

  • 小谷憲一 (@lPdA4o2AxJ31134) - X(旧Twitter)(2024年5月30日- )
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