山之上村

やまのうえむら
山之上村
廃止日 1954年4月1日
廃止理由 合併
三和村(一部)、太田町、古井町下米田村伊深村蜂屋村山之上村加茂野村美濃加茂市
現在の自治体 美濃加茂市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 岐阜県
加茂郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 11.21 km2.
総人口 2,597
(1954年)
隣接自治体 加茂郡太田町、古井町川辺町、三和村、伊深村蜂屋村下之保村
山之上村役場
所在地 岐阜県加茂郡山之上村各務3463
座標 北緯35度28分43秒 東経137度02分30秒 / 北緯35.47869度 東経137.04156度 / 35.47869; 137.04156座標: 北緯35度28分43秒 東経137度02分30秒 / 北緯35.47869度 東経137.04156度 / 35.47869; 137.04156
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山之上村(やまのうえむら)は、かつて岐阜県加茂郡にあったである。

現在の美濃加茂市東部に該当する。

北部は標高357mの富士山(山之上富士)など、標高100〜200mの山間の地域であり、南部は台地となっている。台地は山之上台地といい、赤色粘土質の田畑に不向きな土地であったが、大正時代から果樹栽培が開始され、カキブドウクリナシの産地となっている。現在でもこの地域は果樹栽培が盛んである。

歴史

  • 江戸時代初期、山之上村は美濃国加茂郡に属し、尾張藩領であった。時期は不明であるが山之上村は分割され、江戸時代末期には中之番村、金屋村、端畑村、野地原村、南坂村、西洞村、本地村、佐口村となっていた。
  • 1872年明治5年) - 中之番村、金屋村、端畑村、野地原村、南坂村、西洞村、本地村、佐口村が合併し発足。
  • 1889年明治22年)7月1日 - 町村制施行に伴い、山之上村が発足。
  • 1921年大正10年)頃 - 山之上台地で果樹栽培が開始される。
  • 1954年昭和29年)4月1日 - 太田町、古井町下米田村伊深村蜂屋村加茂野村、および三和村の一部と合併し美濃加茂市が発足。同日山之上村廃止。

学校

関連項目

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