田代律雄
田代 律雄(たしろ りつお、1860年(万延元年[1]) - 1910年(明治43年)4月24日[1])は、明治時代の司法官。大審院判事。
経歴
もと熊本藩士[1]。1890年(明治23年)判事に任じ東京地方裁判所判事となり、ついで宇都宮地方裁判所部長、東京控訴院部長判事などを経て、1901年(明治34年)大審院判事に任じた[2]。1910年(明治43年)4月24日、東京府荏原郡入新井村(入新井町、東京市大森区を経て現東京都大田区)の自邸で卒去した[1]。
栄典
- 位階
脚注
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- ^ a b c d e 大植 1935, 1161頁.
- ^ 人事興信所 1903, 466頁.
参考文献
- 人事興信所 編『人事興信録 初版』人事興信所、1903年。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779810。
- 大植四郎 編『国民過去帳 明治之巻』尚古房、1935年。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1262271。