程大位

程 大位[1](てい だいい、拼音: Chéng Dàwèi1533年 - 1606年[2])は、中国の民間数学者汝思(じょし)。賓渠(ひんきょ)。徽州府休寧県率口の出身[3]。異説として河南府新安県出身とする説もある[4]

そろばん、巻き尺を考案、「そろばんの父」、「巻き尺の父」と称される[要出典]

数学を扱った全17巻にわたる「算法統宗(中国語版)(正題:新編直指算法統宗)」(1592年)という著書がある。6年後には、これを簡略化した全4巻の「算法纂要」をまとめた[5]

来歴

中国の明代は、昔の高等数学書が失われて数学が衰微していたという(理由として太祖洪武帝朱元璋による大商人・知識人そして書物への弾圧を挙げる説もある[6])。そんな中、幼少期から数学を好んで、壮年時には華中各地の数学者を訪ねたり、江南の旅では数学書を捜し求めたりしたという。その後、徽州府休寧県に定住[7]

前述の「算法統宗(中国語版)」は、呉敬による「九章算法比類大全」(1450年)の強い影響を受けた書で、「九章算術」のスタイルで既存の中国数学を扱っており、独創性自体は少ないという指摘もある。しかし、当時ベストセラーになった[4][7]。坊間刻本(民間刊行書)だけでも数十種にのぼると言われている[4]

この書を当時ご朱印船貿易をしていた豪商の角倉一族が入手し、一族の和算家吉田光由にわたった。光由は、数多くの絵を入れた算術の入門書「塵劫記」(1627年)を出版する際に参考にしたともいわれる[8]。数学書として両書には、そろばんによる珠算法を軽んじていなかったという面で[9]共通点がある。

ギャラリー

  • 「算法統宗」 九九図。
    「算法統宗」 九九図
  • 「算法統宗」 又八陣図。
    「算法統宗」 又八陣図
  • ←(参考)13世紀・楊輝による八陣図。ただし、この類似性は一例であり、基本的に「楊輝算法」が「算法統宗」の数学水準を越えているのは方陣に関しての部分のみ、という指摘もある[10]。
    (参考)13世紀・楊輝による八陣図。ただし、この類似性は一例であり、基本的に「楊輝算法」が「算法統宗」の数学水準を越えているのは方陣に関しての部分のみ、という指摘もある[10]

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 誤植の可能性もあるが、程位と表記しているものもある。例:『聖なる数学:算額-世界が注目する江戸文化としての和算』(森北出版)p.45
  2. ^ 程大位 とは - コトバンク大辞林 第三版)
  3. ^ 城地茂「南中国数学の日本伝播 : 『算法統宗』『指明算法』から『塵劫記』(数学史の研究)」『数理解析研究所講究録』第1546巻、京都大学数理解析研究所、2007年4月、1-20頁、CRID 1050001201937758080、hdl:2433/80785ISSN 1880-2818。 
  4. ^ a b c 『アジア歴史事典 6』(平凡社、1985年) 「程大位」 (今井溱)
  5. ^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 「程大位」
  6. ^ 日中科学技術 No.124 p.9-10 - 日中科学技術交流協会 2008.3.20
  7. ^ a b 日本大百科全書 「程大位」 (宮島一彦)
  8. ^ 「和算の事典」 p.414 (佐藤健一、朝倉書店 2009)
  9. ^ 中国珠心算簡紹 通巻132号 - 大阪珠算協会
  10. ^ 城地茂「『楊輝算法』伝説再考 (数学史の研究)」『数理解析研究所講究録』第1317巻、京都大学数理解析研究所、2003年5月、71-79頁、CRID 1050282676667095808、hdl:2433/43005ISSN 1880-2818“p.73 より” 

関連項目

外部リンク

  • 世界大百科事典 第2版、百科事典マイペディア『算法統宗』 - コトバンク
  • 黄山四絶が生んだ珠算・巻尺の父程大位
  • 李培業; 黄国屏; 鈴木久男「『算法纂要』の研究」『国士舘大学政経論叢』第63号、国士舘大学、1988年。ISSN 0586-9749。http://id.nii.ac.jp/1410/00008818/2021年10月1日閲覧 
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