オトマー・サフナウアー

オトマー・サフナウアー
Otmar Szafnauer
サフナウアー(2018年)
生誕 (1964-08-13) 1964年8月13日(59歳)
 ルーマニアアラド県セムラク(英語版)
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
職業 自動車実業家(F1チーム運営)
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オトマー・マリン・サフナウアー(Otmar Marin Szafnauer、1964年8月13日 - )は、アメリカ合衆国の自動車実業家であり、自動車レースのフォーミュラ1(F1)のチームマネージャーとして知られる。

経歴

ルーマニア西部の小さな町セムラク(英語版)で、ドイツ系アメリカ人の父とルーマニア人の母との間に生まれた[1][2]

父ジョージ・サフナウアーは米国への帰国を考えていたが、1950年代のいわゆる鉄のカーテンの影響により、当時のルーマニア政府米国市民権を認めず、一家が出国することも認めなかった[2]。1970年代初めに両国の関係が正常化されたことで、1972年、サフナウアーが7歳の時に一家は米国のミシガン州ウォーレンに移住した[1][2]

サフナウアーはデトロイトウェイン州立大学電気工学を学び、学位を取得して卒業した後、デトロイト・マーシー大学でビジネスと金融の修士号を取得した[2]。ウェイン州立大学に在学していた1982年に18歳のサフナウアーはF1のデトロイトグランプリを観戦し、そのことでレースに魅了される[2]

フォード

1986年にフォード・モーターに入社し、プログラムマネージャーとなる[1]。サフナウアーはフォードに入社すると同時にジム・ラッセル・レーシングスクールに通い始め、1991年にフォーミュラ・フォードでレースを始め、ドライバーとして3年ほどレースに参戦した[1][2]。フォードにおいては1993年にモータースポーツ部門であるフォード・パフォーマンスのプログラムマネージャーに任命され、フォーミュラ・フォードや、GTレースフォーミュラ・2000といった同社の位置付けで比較的下位に属するカテゴリーのレース活動を担当した[1][2]

1990年代半ばに、インディカーの技術を転用したことを売りとしたコンセプトカーであるフォード・インディゴ(英語版)の開発プロジェクトに携わることになる[2]。このコンセプトカーはV12エンジンを搭載していることに加え、車体もカーボン複合素材製のモノコックを採用したもので、量産するにはあまりにもコストがかかりすぎるため、市販化は見送られた[1][2]。この車両はレイナードの協力を得て制作されたものであり、サフナウアーはこのプロジェクトを通じてエイドリアン・レイナードと知り合い、彼が進めていたF1参戦計画に誘われることになる[1][2][注釈 1]

B・A・R - ホンダ

1998年に翌年のF1参戦を目指していたブリティッシュ・アメリカン・レーシング(BAR)に加入し、オペレーションディレクターに任命された[3][1][2]

その3年後、ボビー・レイホールからジャガー・レーシング最高執行責任者(COO)の職を提示され移籍することにしたが、就任の1週間前にレイホールがジャガーを去り(2001年8月[4])、サフナウアーは行き先を失ってしまう[2]

しかし、ほどなくホンダ・レーシング・ディベロップメント(HRD)に副社長として雇われ、2002年4月に同社に加入した[5]。同社はホンダのF1参戦(第3期)にあたってイギリスにおけるエンジン類の物流基地やメンテナンス基地としての役割を持つほか、ホンダとエンジン供給先(B・A・R)との橋渡し役や、ホンダとFIA間の折衝業務を担っており[6]、サフナウアーはFIAとの折衝を主な職務とした[7]。ホンダが2006年からフルワークスチーム(ホンダF1)として参戦を始めたことでそうした役割はブラックリー(英語版)のホンダ・レーシング・F1チーム(HRF1)に移管されていき[6]、そのため、2008年9月にサフナウアーはHRDを去った[5][注釈 2]

フォース・インディア - アストンマーティン

2009年10月にフォース・インディア最高執行責任者(COO)として加入した[3]。同チームはサフナウアー加入前の2008年は年間ランキング10位、2009年は9位だったが、その後、2011年2013年2014年に6位となり、2015年には5位、2016年2017年に4位になるという、着実な上昇を見せた[2]

しかし、2018年半ばにチームは経営破綻し、管財人の管理下に置かれた[8]。サフナウアーは管財人と協力してチームの買い手を探し、ローレンス・ストロール率いるコンソーシアムが救済に動くことになる[9][注釈 3]。ストロールらはチームの資産を買い取って新チームのレーシング・ポイントを立ち上げ[注釈 4]、サフナウアーは同チームで最高経営責任者(CEO)兼チーム代表を任された[12][13][14]

2021年シーズンからレーシング・ポイントはアストンマーティンF1に改称され、サフナウアーは引き続きCEOとチーム代表を兼務した[15][16]

アルピーヌ

2022年1月にアストンマーティンを去り[17]、翌2月にアルピーヌF1のチーム代表となることが発表された[18]。しかしチームはオスカー・ピアストリとのドライバー契約に失敗するなど法務部門に問題を抱えたほか、成績面でも中位を抜け出せない状態が続いた。結局翌2023年7月、アルピーヌF1の代表を退くことになった[19]

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 大企業のフォードから海のものとも山のものともつかないF1の新チームに移る機会を前にして、サフナウアーは「やるからには全力を尽くし、それで自分がどれほどのことができるか見てみよう」と自分に言い聞かせたと語っている[2]
  2. ^ ホンダの撤退(12月)に伴って離脱したわけではない[3]
  3. ^ この一連の動きの内幕は『Formula 1: 栄光のグランプリ』のシーズン1-エピソード5~6でも描かれている。
  4. ^ 登記上は、レーシング・ポイントはフォース・インディアとのつながりはなく[10]ジョーダン・グランプリ以来続いていた法人としてのフォース・インディアは消滅することになる[11]

出典

  1. ^ a b c d e f g h Brad Spurgeon (2012年11月16日). “An Engineer's Passion for His Racing Work” (英語). The New York Times. 2022年2月22日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n Joe Saward (2016年4月10日). “From Detroit to F1: Otmar Szafnauer is quietly making his mark as COO of Force India” (英語). Autoweek. 2022年2月22日閲覧。
  3. ^ a b c Alan Baldwin (2009年10月15日). “Motor racing-Force India ring changes at the top” (英語). Reuters. 2022年2月22日閲覧。
  4. ^ “Bobby Rahal out at Jaguar Racing” (英語). Autoweek (2001年8月22日). 2022年2月22日閲覧。
  5. ^ a b Jonathan Noble (2008年9月12日). “Otmar Szafnauer leaves Honda” (英語). Autosport. 2022年2月22日閲覧。
  6. ^ a b Technical Review(本田技術研究所2009)、「Honda Racing Development活動紹介」(長谷川祐介、久恒史郎、児玉達也) pp.303–307
  7. ^ “Honda interview with Szafnauer” (英語). Motorsport.com (2005年12月8日). 2022年2月22日閲覧。
  8. ^ “フォースインディアが破産申請、管財人の管理下に”. AFPBB News (2018年7月29日). 2022年2月22日閲覧。
  9. ^ “Force India set to exit administration” (英語). Formula One World Championship official website. Formula One World Championship Limited (2018年8月7日). 2022年2月22日閲覧。
  10. ^ “AMR GP LIMITED” (英語). Companies House. 2022年2月22日閲覧。
  11. ^ “FORCE INDIA FORMULA ONE LIMITED” (英語). Companies House. 2022年2月22日閲覧。
  12. ^ Chris Medland (2018年8月23日). “Szafnauer named Force India team principal amid ‘Racing Point’ switch” (英語). Racer. 2022年2月22日閲覧。
  13. ^ Alan Baldwin (2018年8月24日). “Motor racing - We are still Force India, says new team boss” (英語). Reuters. 2022年2月22日閲覧。
  14. ^ “Otmar Szafnauer departs as Aston Martin F1 boss” (英語). ESPN (2022年1月5日). 2022年2月22日閲覧。
  15. ^ “Aston Martin Cognizant Formula One™ Team launches the AMR21” (英語). Aston Martin F1 official website. AMR GP Limited (2021年3月3日). 2022年2月22日閲覧。
  16. ^ Mike Duff (2021年3月3日). “Aston Martin F1 Team's Launch of AMR21 Builds on Momentum of Big 2020 Season” (英語). Autoweek. 2022年2月22日閲覧。
  17. ^ “Aston Martin announce departure of Team Principal Otmar Szafnauer” (英語). Formula One World Championship official website. Formula One World Championship Limited (2022年1月5日). 2022年2月22日閲覧。
  18. ^ “Szafnauer named Alpine Team Principal as Rossi confirms new structure” (英語). Formula One World Championship official website. Formula One World Championship Limited (2022年2月17日). 2022年2月22日閲覧。
  19. ^ アルピーヌF1がサフナウアー代表をはじめとする上級職員3人の離脱を発表。パット・フライはウイリアムズに移籍 - オートスポーツ・2023年7月28日

参考資料

  • 2009-12-01、『Honda R&D Technical Review F-1 Special [F-1特集号]』、本田技術研究所 NCID AN10088639

外部リンク

  • Otmar Szafnauer - Linkedin (英語)
フランスの旗 アルピーヌF1
2021年 - 現在
ワークスチーム
チーム首脳
  • フランスの旗 ブルーノ・ファミン (チーム代表、アルピーヌ社{親会社}モータースポーツ担当副社長)
  • フランスの旗 フィリップ・クリーフ(ポルトガル語版) (アルピーヌ社{親会社}CEO)
主なスタッフ
  • フランスの旗 デビッド・サンチェス(英語版) (エグゼクティブTD)
  • イギリスの旗 ジョー・バーネル (エンジニアリングTD)
  • 不明の旗 エリック・メイニャン (PUTD)
  • イギリスの旗 シアロン・ピルビーム(英語版) (パフォーマンスTD)
  • イギリスの旗 デイビッド・ウィーター (空力TD)
  • イギリスの旗 ロブ・ホワイト (オペレーションD)
  • オーストラリアの旗 クリス・ダイヤー(英語版) (車両性能責任者)
元関係者
現在のドライバー
過去のドライバー
車両
現在のスポンサー
関連組織
※役職等は2023年8月時点。
1976年
試作・試走のみ
主な関係者
車両
関連組織
関連項目
1968年
試作・試走のみ
主な関係者
車両
関連組織
イギリスの旗 アストンマーティンF1
2021年 - 現在
チーム首脳
主なスタッフ
元関係者
  • アメリカ合衆国の旗 オトマー・サフナウアー
  • イギリスの旗 マット・ビショップ(英語版)
現在のドライバー
過去のドライバー
車両
現在のスポンサー
関連組織
1959年 - 1960年
関係者
  • イギリスの旗 デイビッド・ブラウン
  • イギリスの旗 テッド・カッティング(英語版)
ドライバー
車両
  • DBR4(英語版)
  • DBR5
関連組織
※役職等は2023年2月時点。
イギリスの旗 レーシング・ポイント
チーム首脳
主なスタッフ
ドライバー
車両
主なスポンサー
インドの旗 フォース・インディア
創設者
歴代チーム関係者
歴代ドライバー
F1マシン
エンジンサプライヤー
関連会社
  • インドの旗 ユナイテッド・ブリュワリーズ・グループ(英語版)
  • インドの旗 サハラ・インディア・パリワール(英語版)
日本の旗 ホンダF1
第五期
2026年 -
パワーユニット供給
主な関係者
  • (TBD)
第五期



供給先
関連組織
HRC
2022年 - 2025年
パワーユニット供給
主な関係者
元関係者
供給先
関連組織
第四期
2015年 - 2021年
パワーユニット供給
主な関係者
第四期
供給先
関連組織
第三期
2006年 - 2008年
ワークスチーム

2000年 - 2008年
エンジン供給
主な関係者
日本の旗 本田技研工業
  • 日本の旗 福井威夫
  • 日本の旗 和田康裕(英語版)
  • 日本の旗 村松慶太(英語版)
日本の旗 本田技術研究所
イギリスの旗 HRD※1
イギリスの旗 HRF1※1
第三期


ドライバー
テスト/リザーブドライバー:
車両
主なスポンサー
エンジン供給先
関連組織
HRD
1998年 - 1999年
試作・試走のみ
主な関係者
車両
関連組織
無限ホンダ
1992年 - 2000年
エンジン供給
主な関係者

エンジン
供給先
関連組織
本田技術研究所
1991年 - 1994年
試作・試走のみ
主な関係者
  • 日本の旗 橋本健
  • 日本の旗 瀧敬之介
車両
  • RC1 (RC-F1 1.0X)
  • RC1B (RC-F1 1.5X)
  • RC2 (RC-F1 2.0X)
関連組織
第二期
1983年 - 1992年
エンジン供給
主な関係者
第二期
エンジン
供給先
関連組織
関連項目
第一期
1964年 - 1968年
ワークスチーム
主な関係者
日本の旗 本田技研工業
日本の旗 本田技術研究所
イギリスの旗 ホンダ・レーシング
第一期
ドライバー
テスト/リザーブドライバー:
車両
主なスポンサー
関連組織
関連項目
関連項目
※ 第2期・第3期・第4期の「主な関係者」は、基本的に各部門の「長(ディレクター)」以上にあたる人物のみに絞って記載(多数に及ぶため)。
※ 「関連組織」の( )には略称、[ ]には関連する下部組織を記載。
※1 ホンダ本社の役職者と本田技術研究所の人物を除く(兼務者が多数に及ぶため)。
※2 ホンダ所有のサーキット。第1期と第2期に主要なテストコースとして用いられた。
※3 ホンダ所有の展示施設。第1期から第4期の車両を所蔵(基本的に動態保存)している。