ジョック・クリア
ジョック・クリア Jock Clear | |
---|---|
クリア(2016年バーレーングランプリ) | |
生誕 | (1963-09-12) 1963年9月12日(60歳) イギリス・ハンプシャー ポーツマス |
国籍 | イギリス |
職業 | 自動車技術者(レースエンジニア) |
テンプレートを表示 |
ジョック・クリア(Jock Clear、1963年9月12日 - )は、イギリスの自動車技術者であり、自動車レースのフォーミュラ1(F1)のエンジニアとして知られる。日本語では「ジョック・クレア」と表記、発音されることもある。
経歴
初期の経歴
ポーツマス出身のクリアは地元のポーツマス・グラマースクール(英語版)を卒業した後、スコットランド・エディンバラのヘリオット・ワット大学で学び、機械工学の単位を得て1987年秋に卒業した[1]。
デザイナー
卒業後は造船会社で働いていたが、ある時、ヒストリックカーイベントで友人が古いF1車両を走らせ、その手伝いをしたことがきっかけでクリアは自動車レースに興味を持ち、1988年にローラ・カーズに入る[1]。ローラでは、当時F1のラルース用の車体設計をしていたクリス・マーフィーの下で設計エンジニアとして働いた[1]。ここでクリアはCAD/CAMといったコンピュータ支援を用いた設計手法の開発や、コンポジット(複合素材)についての開発で手腕を発揮したことで、その評判は他チームにも広まった[1]。
そうして、1989年にベネトン・フォーミュラに2年契約で雇われ、ジョン・バーナードの下でコンポジット設計の責任者として働いた[1]。その後、バーナードはチーム代表のフラビオ・ブリアトーレと決別したことで1991年半ばにチームを去り、それに伴ってクリアもレイトンハウスに移籍した[1]。
レイトンハウスではグスタフ・ブルナーの下でシニアデザイナーを務めていたが、1年ほど経った頃、ローラ時代の上司で当時チーム・ロータスでシニアデザイナーを務めていたマーフィーから声がかかり、ロータスに移籍した[1]。
レースエンジニア
ロータスでは当初は設計部門で働いていたが、1994年に同チームのドライバーであるジョニー・ハーバートのレースエンジニアに任命され[1]、クリアは以降20年以上に渡り、レースエンジニアとしてキャリアを重ねることになる。
レースエンジニアを始めてほどなく、ロータスは破産したため、クリアはウィリアムズに移り、1995年はデビッド・クルサードのレースエンジニアとなった[1]。
1996年、移籍したクルサードの後任としてチームに加入したジャック・ヴィルヌーヴの担当レースエンジニアとなる[1]。ヴィルヌーヴは1997年にウィリアムズでチャンピオンとなった後、1999年に新チームのブリティッシュ・アメリカン・レーシング(BAR / B・A・R)に移籍し、この際、クリアもヴィルヌーヴと共に同チームに移籍した[1]。
ヴィルヌーヴは2003年にチームを去ったが、クリアはその後も同チームに留まり、同チームがホンダ、ブラウンGP、メルセデスと変遷していく中で、さまざまなドライバーのレースエンジニアを担当した。(→#担当ドライバー)
2014年に担当したドライバーのルイス・ハミルトンがチャンピオンとなり[2]、同年末にクリアはスクーデリア・フェラーリと契約した。
フェラーリには(ガーデニング休暇の後)2016年にシニアパフォーマンスエンジニアとして加入し[3][2]、2019年はシャルル・ルクレールのレースエンジニアを務めるとともに[4]、以降はフェラーリ・ドライバー・アカデミー(FDA)のコーチを務めている[5]。
担当ドライバー
クリアがレースエンジニア時代に担当したドライバーは下記の通り。
- ジョニー・ハーバート (1994年・ロータス)
- デビッド・クルサード (1995年・ウィリアムズ)
- ジャック・ヴィルヌーヴ (1996年 - 2003年・ウィリアムズ、B・A・R)
- 佐藤琢磨 (2003年 - 2005年・B・A・R)
- ルーベンス・バリチェロ (2006年 - 2009年・ホンダ、ブラウン)
- ニコ・ロズベルグ (2010年 - 2011年・メルセデス)
- ミハエル・シューマッハ (2011年 - 2012年・メルセデス)
- ルイス・ハミルトン (2013年 - 2014年・メルセデス)
- シャルル・ルクレール (2019年・フェラーリ)
人物
若い頃はラグビーに打ち込んでおり、ヘリオット・ワット大学在籍時も学業の傍ら、ラグビーをしていた[1]。
栄典
- 2007年・名誉工学博士(ヘリオット・ワット大学)
脚注
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l “Jock Clear” (英語). Grandprix.com. 2022年2月22日閲覧。
- ^ a b Nate Saunders (2016年3月28日). “Ferrari title would be greatest achievement - Jock Clear” (英語). ESPN UK. ESPN. 2022年2月22日閲覧。
- ^ Laurence Edmondson (2016年3月26日). “Ex-Mercedes engineer Jock Clear makes first Ferrari appearance at Paul Ricard” (英語). ESPN UK. ESPN. 2022年2月22日閲覧。
- ^ “Jock Clear to be Leclerc's race engineer” (英語). Grandprix.com (2018年11月22日). 2022年2月22日閲覧。
- ^ “Ferrari to enhance veteran engineer Jock Clear's driver coach role for 2021” (英語). Formula One World Championship official website. Formula One World Championship Limited (2021年12月29日). 2022年2月22日閲覧。
外部リンク
- Jock Clear - Grandprix.com (英語)
メルセデスAMGペトロナス | |||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2010年 - 現在 ワークスチーム |
| ||||||||||||||||
1994年 - 現在 エンジン/PU供給 |
| ||||||||||||||||
1952年 - 1955年 ワークスチーム |
| ||||||||||||||||
関連項目 | |||||||||||||||||
※役職等は2024年2月時点。 ※太字のドライバーはメルセデスにおいてドライバーズワールドチャンピオンを獲得。 |
ブラウンGP | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
首脳 | |||||||
チーム関係者 |
| ||||||
ドライバー |
| ||||||
車両 | |||||||
スポンサー |
| ||||||
関連項目 |
ホンダF1 | ||||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
第五期 2026年 - パワーユニット供給 |
| |||||||||||||||||||||||||
HRC 2022年 - 2025年 パワーユニット供給 |
| |||||||||||||||||||||||||
第四期 2015年 - 2021年 パワーユニット供給 |
| |||||||||||||||||||||||||
第三期 2006年 - 2008年 ワークスチーム 2000年 - 2008年 エンジン供給 |
| |||||||||||||||||||||||||
HRD 1998年 - 1999年 試作・試走のみ |
| |||||||||||||||||||||||||
無限ホンダ 1992年 - 2000年 エンジン供給 |
| |||||||||||||||||||||||||
本田技術研究所 1991年 - 1994年 試作・試走のみ |
| |||||||||||||||||||||||||
第二期 1983年 - 1992年 エンジン供給 |
| |||||||||||||||||||||||||
第一期 1964年 - 1968年 ワークスチーム |
| |||||||||||||||||||||||||
関連項目 |
| |||||||||||||||||||||||||
※ 第2期・第3期・第4期の「主な関係者」は、基本的に各部門の「長(ディレクター)」以上にあたる人物のみに絞って記載(多数に及ぶため)。 ※ 「関連組織」の( )には略称、[ ]には関連する下部組織を記載。 ※1 ホンダ本社の役職者と本田技術研究所の人物を除く(兼務者が多数に及ぶため)。 ※2 ホンダ所有のサーキット。第1期と第2期に主要なテストコースとして用いられた。 ※3 ホンダ所有の展示施設。第1期から第4期の車両を所蔵(基本的に動態保存)している。 |
B・A・R | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
主な関係者※ |
| ||||||||
ドライバー |
| ||||||||
F1車両 | |||||||||
主なスポンサー | |||||||||
関連組織 |
| ||||||||
※出身組織(本来の所属組織)別に分類。 |
ウィリアムズ・レーシング | |||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
チーム首脳※ |
| ||||||||||||||
主なスタッフ/関係者※ |
| ||||||||||||||
現在のドライバー | |||||||||||||||
F1車両 | |||||||||||||||
現在のPUサプライヤー |
| ||||||||||||||
現在のスポンサー | |||||||||||||||
※役職等は2023年時点。 | |||||||||||||||
| |||||||||||||||
元チーム関係者 |
| ||||||||||||||
主なドライバー |
| ||||||||||||||
| |||||||||||||||
F2 | |||||||||||||||
プロトタイプ | |||||||||||||||
ラリー | |||||||||||||||
ツーリングカー | |||||||||||||||
| |||||||||||||||
タイトルスポンサー | |||||||||||||||
エンジンサプライヤー |
| ||||||||||||||
| |||||||||||||||
|
チーム・ロータス (1958年 - 1994年) / ロータス・カーズ | |||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
創設者 | |||||||||||||
主なチーム関係者 |
| ||||||||||||
主なドライバー |
| ||||||||||||
F1車両 | |||||||||||||
主なスポンサー |
| ||||||||||||
F2車両 |
| ||||||||||||
CART | |||||||||||||
市販スポーツカー |
レイトンハウス | |
---|---|
創設者 |
|
主なチーム関係者 |
|
F1ドライバー | |
スポンサードを 受けたドライバー | |
F1マシン | |
F3000マシン |
|
主なスポンサー |
|
関連項目 |
ベネトン・フォーミュラ | |
---|---|
創設者 |
|
主なチーム関係者 | |
主なドライバー | |
F1マシン | |
主なスポンサー | |
太字はベネトンにおいてドライバーズワールドチャンピオンを獲得。 |
| |
---|---|
ローラ (1962-1963) |
|
(F2)ローラ (1967-1968) |
|
ホンダ (1968) | |
エンバシー・ヒル (1974-1975) | |
(借名) ハース・ローラ (1985-1986) | |
ラルース (1987-1991) | |
BMSスクーデリア・イタリア(1993) | |
ローラワークス試作車 (1994-1995) | |
マスターカード・ローラ(英語版) (1997) | |
ローラF3000 (1985-2004) | |
フォーミュラ・ニッポン (1996-1999,2003-2008) | |
ローラの仕事をしたエンジニア |
|